泥沼離婚裁判ブログ

最高裁にまで至った離婚裁判のブログです

離婚後・・・一人だと困った事

離婚成立から数か月。

子供たちも目に見える変化もありません。

離婚する前から元夫は家にいない事が普通だったので、子供たちも違和感はないようです。

元夫を家から追い出した訳でもなく、引っ越して来なかっただけの話なのですが。

 

今日は離婚してから、不便だと思った事を書いていこうと思います。

私の場合、離婚したことが悲しいとかそういう気持ちは全くありません。

世間的に「離婚」と言うとマイナスな感じでしょうが、私にとって「離婚」はプラスでしかありません。

笑って「離婚しました」と言えます。

内容に関しても、全然タブーではありません。

離婚をしたい人がいて、詳しく話を聞かせて欲しい!と言われれば、何でもしゃべっても構いません。

すんなりいかない相手と離婚する為には、準備が必要だと思いますから。

 

離婚した後、離婚しなければ良かったと思った事はありませんが、夫婦2人いれば良かったと思った事を書きたいと思います。

 

1.遊園地などへ出かけた時のトイレ

うちは娘が2人なのですが、年齢が離れています。

とは言え、長女も一人で放っておいても良い年齢ではありません。

次女が「トイレ」と言うと、長女も連れていく事になって時間がロスします。

しかも、乗り物に乗れる物が身長の関係で次女は少ないので、私一人で遊園地へ二人を連れて行くとなると次女にあわさざるを得なくなります。

ただ、これは夫婦そろっていたほうが良いと言う事ではなく、祖父母などがいれば問題も解決すると思います。

私の場合、母親が同居しているので母親が次女を連れてメリーゴーランドなどに乗ってくれたので、長女を連れてジェットコースターなどに乗れました。

 

2.運動会でのビデオカメラ

 運動会があると競技に出なければなりません。

子供の競技だけだと自分で録画できますが、親子競技となると録画してくれる人がいなければ記録に残せません。

これも子供たちの祖父母でいけますが、私の母は機械音痴なのでこれは無理でした。

他の学年の保護者に頼んだりすると、問題ないと思いますが・・・。

毎年となると、ちょっとお願いし辛い事もありますよね。

 

3.遠出する時の運転

どこか遠出する時の車の運転は、交代出来る人がいると良いなぁと思いました。

運転好きな人なら大丈夫かも知れませんが、40歳を超えてくると疲れやすくなるので交代しながらの運転が出来れば良いなぁと思います。

まぁ、これも祖父母が出来れば良いですが、あまり高速道路とか運転させたくないですね・・・。

 

4.病気の時

 一人が病気で急に病院へ連れて行かなくてはならないとき、夜間救急へ連れて行くとなるともう一人をどうするかと言う事になります。

夜間救急へ連れて行くと、人も多くて病気で来ている人もいるので、感染のリスクがあります。

これも誰か見てくれる人がいれば、夫婦の関係である必要はないですが。

 

5.夫婦そろった家庭を見ると複雑

これは困った事ではないのですが、運動会とか遊園地とか夫婦そろった親子連れを見ると、子供たちに対して「なんか申し訳ない」と言う気持ちが湧きます。

ただ、私の場合は元々、家事・育児不参加だったのでいても同じなのでこういう罪悪感も少ないです。

 

6.収入

 これも私の場合は元夫がいても私の扶養になっていたくらいですから、いてもいなくても変わりません。

 逆に児童扶養手当などの収入の方を考えた方が得でした。

 

 まとめ

自分にきちんとした職について収入がある事が前提ですが、協力してくれる人がいれば、たいていの問題はクリアー出来ます。

有休休暇の取りやすい職場だと良いですが、シフトなどが決まっている職業の場合は、子供が病気の時などは辛いと思います。

私の場合は、他の人が子育ての終わっている人達ばかりなので、子供が病気をして急にお休みする場合でも休みやすいと言う利点はあります。

ただ、そういう方になってくると、お孫さんが生まれたりするときは長期の期間でお休みされるので、助け合いが必要です。

 

収入と時間がある親の援助があれば、とりあえず何とかなると思います。

私の場合、母はパート勤務で私の扶養内で働いています。

幼稚園児の次女の面倒をみてくれて、家事の食事の方は私が家に帰ると食事と言う感じです。

収入はかなりきついですが、今以上にお給料をくれるところは田舎では少ないので、頑張って働くしかないと思っています。

 

私は、血が繋がっているから「家族」であるとは思っていません。

血が繋がっている事で、家族に寄生する事が当たり前だと思うような人間は家族ではないと思っています。

「家族」と言うのは、苦しい時には共に苦しみ、楽をする時には共に楽をするものだと思っています。

私だけが我慢していればと思っていた事もありますが、子供たちまで同じ我慢をする事になるとすれば話は変わって来ます。

普段は家事・育児も不参加、収入も嫁の扶養に入るだけしか稼がない夫。

でも、外に向かって「良い父親面」するだけの人間は私にとって不必要でした。

子供たちには、人に寄生して楽をして生きていけると思って欲しくなかった訳ですが、今の所、私の決断は間違っていなかったと思います。

子供たちには「自分だけが不幸」だと思って欲しくありません。

辛い事があったから努力しなくて良い理由にはならないし、人を傷つけて良い理由にもなりません。

頑張らなくて良い理由にもなりません。

 

元夫をダメにしたのは私なのか、私の見る目がなかったのか・・・。

とりあえず、また第3ラウンドの鐘がなっていますので、その件に関しても記載指定子と思います。

離婚後の年末年始の面会

離婚が成立してから2か月。

年末年始が近づいているので、憂鬱になりつつあります。

面会交流です。

 

いままでは、年末毎に元夫からの突然な訪問を避けるため、逃げ回って来ました。

12月30日の夜中に宿を取って、大晦日を民宿で過ごしてきました。

年末年始、12月31日から1月1日と言うだけの話ですが、新しい一年を迎えるのに嫌な気持ちで年を迎えたくなかったからです・・・。

今を思うと、子供たちにしてみれば良い年明けだったのか分からないのですが、笑って新しい年を迎えたかったのです。

元夫は突然、家にやって来ていました。

家の鍵を変える前は勝手に家の中に入って来れたので、こちらが拒否すると言う事は出来ませんでした。

こちらの予定関係なしに、アポなしで突然にやって来ます。

30日にやって来て泊まる準備をしていたので、年末は家に来そうな気がしたので、宿を取りました。

大晦日の日は夜にやって来て新年を迎え、私と子供がいないのを知ると烈火のごとく怒ったそうです。

私の母は家に誰もいないと何をされるか分からないと言って、家に残っていたので分かった事ですが・・・。

一審の勝訴確定後に鍵は付け替えましたが、最高裁での上告不受理になるまで、家には突然に来られていました。

離婚後は、子供との面会交流で来ることが分かっていても、車を敷地には止めません。

近くの空き地に車を止めて迎えに来ます。

私が不法侵入したと警察を呼ぶとでも思っているのでしょうか?

 

離婚裁判になって大モメにモメて離婚になりました。

すんなり離婚出来ていたら、子供たちとのかかわり方も、元夫との話し合いも普通に出来たかもしれません。

離婚をしたくないと言う理由が、本当に愛情から来ていたのかは分かりませんが、どうみても私に寄生する為に子供を利用しているようにしか見えなかった。

弁護士への着手金と、離婚後にかかる自分のお金を天秤にかけて安い方で控訴、上告をしたとしか思えません。

それでも、子供たちに会いたいと言われれば、子供たちに意見を聞いた後、面会したいと言えば気持ちよく子供たちを送り出しています。

長女と連絡が取れなくなって、警察へ通報する一歩手前までいきましたが、それでも子供たちは父親に会う権利はあると思っています。

面会交流をさせるために、長女には携帯をもたせました。

子供たちにも父親に会いたければ、「会えるよ」と言ってあるのですが、気を遣っているのか「会いたい」と言った事はありません。

元夫と夏休みに面会をした後は、連絡はありません。

愛情があると言いながら、結局はそんなもんなんだと思います。

夏休みの面会交流も、長女が会うと言わなければ裁判のネタにするつもりだったと考えています。

ただ、夏休みに限っては長女が会うと言ったので面会交流になりました。

 

面会交流も本当はさせたくありません。

元夫の実家はDV家系です。

甥もまた、その気質を引き継いでいるので、本当は行かせたくありません。

義父が一番の恐怖です。

何かあっては遅いので、行かせたくない。

普通に考えてそういう事は「ない」と思うでしょうが、絶対に大丈夫な環境ではありません。

それに元夫は自分の家族がそんな事をするかもしれないと、全く思っていないと思います。

子供たちの様子から、危険な事があったとは思いませんが、長女は体つきも大人になりつつあるので、本当に恐ろしいです。

行って「嫌な事は嫌」とハッキリ言うように、言ってありますが長女が言えるかどうか。

 

父親によって、子供が殺される事件もありました。

モラハラをしていたような人間は、子供の命さえも自己中な考えによって平気で奪えます。

子供たちの事を思っていたなど言いますが、それは本人の勝手な思い込みであって、周りから見ると勝手極まりないと思う事でも、本人にしてみればそれが「正論」なのです。

自分の思い通りにいかなくなれば、自分の気持ち一つで子供の命さえも簡単に奪ってしまえるのです。

子供は親の持ち物ではなく、一人の「人」として尊厳されるべきと思います。

子供の命を奪うくらいなら、自分一人で死ぬべきと考えます。

親の自殺後、子供は苦労するだろうし、怨むかもしれないけど、それでも子供には子供の人生があります。

親が勝手に奪って良い命ではありません。

DVされる可能性があるかも知れないと分かっていても、子供たちが元夫に会いたいと言えば、毎回、引き裂かれるような思いをしながら送り出します。

楽しそうに帰ってくれば、本当に安堵します。

泊りで面会交流をする日は、眠れません。

そんな懸念があるなら会わせなければ良いと言うかもしれませんが、楽しそうに帰ってくれば、会わせなかった事は自分のエゴになります。

元夫から純粋に子供に会いたいと言われれば、まだましなのでしょうけど・・・。

 

どちらにせよ、年末年始の面会交流の話は本当に憂鬱です。

 

うつ病再発の恐怖

今日はうつ病の話をしようと思います。

 

引越しをしてから新しい家の設備に不備があり、いろいろと壊れていたり、地デジの電波が入らなかったりと大変でした。

大変な思いは私も一緒だったのですが、元夫は私に当たりちらしました。

リフォームが思い通りにいかず、元夫の仕事が終わった後にやって来て、夜中に叩き起こされて懐中電灯を照らしながらサッシの傷を見て回った事もありました。

 

anegohada.hatenablog.com

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そのあたりから、知らず知らず体調と精神を壊していったようです。

自分はうつ病だと気が付かないうちから症状は出ていました。

一番の症状は「物忘れ」です。

人と約束をしても、そっくりそのまま忘れてしまう。

出かける予定なのに、忘れて椅子に座ったまま仕事を続ける。

頼まれた仕事をやっている途中で忘れてしまって、他の仕事を始めてしまう。

上司からは「異常」と言われるまで酷くなりました。

 

その数か月後には更に悪化していました。

「子供を道連れにしてしまう前に、自覚がある今なら、自分一人で首をつって死ねる」

と同僚に号泣しながら話をすると言う・・・。

同僚はその頃、本当に心配してくれていて、私の出勤がおくれると死んでいないかと本当に心配だったようです。

仕事の繁忙期にこのまま入ると、本当に死んでしまうかもしれない・・・と思って、心療内科へ行きました。

とりあえず、抗うつ剤睡眠導入剤を処方してくれて何とか生活できるまでに。

少しずつ落ち着いてきて、2,3カ月後に正式なうつ病の検査の結果、やはりうつ病になっている事が分かりました。

しかも、もともと発達障害を持ってたことも分かりました。

思い返せば忘れ物は毎日のようにしていたし、人間関係を築くのは少し苦手だったなと。

うつ病の診断はすぐにはしてもらえません。

私の場合は、抗うつ剤を飲み始めてから数か月後に検査を受けました。

頭にいっぱい電極のような物が付いたネットをかぶり、目を閉じてリラックスした状態でカメラのフラッシュのような光を浴びます。

その時の脳の動きで調べるのだそうです。

薬を飲んだ状態で、少し正常値から外れるくらいでした。

 

物忘れの症状が一番ひどかったので、抗うつ剤から発達障害の薬に切り替わりました。

うつ病だと診断が出たと元夫に行っても、収入を上げる努力をする訳でもなく、子供たちを連れて遊びに行くわけでもなく、何の変化もありませんでした。

私が病んでいても、何も変わらないんだなと。

そういう事もあって、離婚を切り出しましたが、離婚を切り出しても生活は変わりませんでした。

「どうせ、ほとぼりが冷めたら元に戻る」と考えていたと思います。

元夫にしたらその程度の話だっただろうと。

でも、私は離婚調停を申し立てました。

そこから元夫の「婚姻生活の実態作り」が始まったのです。

毎朝、引越し先に現れるようになり、消耗品を取られ、朝の様子をビデオカメラで盗撮され、車の上乗せを払わされたりと、いろんな事がありました。

うつ病は酷くなり、不眠症も薬を飲まないと眠れないほどになりました。

 

 その後、最高裁で離婚が成立した後、症状は落ち着きました。

通っていた心療内科では、先生が高齢の為退き、違う主治医になりました。

自分の症状に合わせて薬を軽くしたりしてくれていたのに、「調子がいいから薬を減らしたい」と申し出ても現状の薬を出し続けられました。

不信感から通院を悩んでいたのですが、症状も落ち着いてきていたので自分で思い切って薬の服用を止めました。

(本当はしてはいけません)

薬が無くても眠れるし、物忘れも一番ひどい時から考えると元に戻った状態です。

薬の服用を止めてから4ヵ月経ちますが、問題なく過ごせています。

 

 ただ、不安はあります。

離婚後は元夫からの嫌がらせもなくなって、安定した生活を送れてはいます。

子供の姓が変わった事で、いじめの心配もしていましたが何事もなく。

これからの心配は金銭的な心配と、自分自身の体の事です。

うつ病は何とかなっていますが、肝臓の数値が一時的に悪化して大きな病院へ通っていました。

肝臓の薬を2ヵ月くらい服用し、数値が落ちてきたところで薬の服用を止め、2か月後に血液の検査をしました。

結果は標準に入るくらいに落ち着きました。

ただ、月に1度は近くの病院で血液の検査をした方が良いと言われていて、どこの病院にしようかと悩んでいます。

 

 まだ下の子は幼稚園児。上も小学生。

一人親になった責任は重くのしかかっていて、あまり考えすぎないようにしようとはしていても、考えてしまいます。

またうつ病が再発するのではないか・・・。

と言う不安も出てきます。

ここ2日、夜中に目が覚めて眠れなくなると言う状況が続いています。

たった2日ですが、引き金になってしまわないか。

離婚して一人親になると言う事は、精神的な負担がかかります。

悪い事を考え始めればふさぎ込んでしまうけど、良いことだってあるわけで。

離婚しても何とか生活していけるほどには会社が給料をくれて、会社の同僚もフォローしてくれる良い人ばかり。

父親や元夫はクズの部類の人間だったけど、それ以外には恵まれていると思います。

頑張る事はしないで、出来る事を出来る範囲でやる。

放っておくと考えすぎるので、意識して考えないようにしようと思います!

離婚後の恋愛とモヤモヤする気持ち

離婚してから生活も落ち着いてきた。

元夫から思っていたほどの嫌がらせもなく、安心している。

 

離婚してしまったけど、結婚したことに後悔はない。

子供が2人できたから。

宝物。

子供大好き。

子供がいる生活はずっと自分にとって夢だったから、子供を持つと言う事が叶った事だけでも結婚したことに意味はあった。

今は子供たちのいない生活は考えられない。

 

 

独身になったので、恋愛をしても婚活をしても咎められることはない。

離婚してから早いと思うかもしれないが、離婚する前2年間は調停と裁判に使った時間なので、もうすでに気持ちの整理はついている。

離婚を目標に2年間を過ごしてきた。

 

恋愛をしない気はないのだけど、恋愛を自分からする気にはなれない。

子供の生活も元夫からの嫌がらせもなくなり、落ち着いた生活を送れていると思う。

落ち着いてきた生活のなか、また落ち着かない事を持ち込みたくない。

それに、子供がいて自由になる時間はほとんどない。

下が幼稚園児と言う事もあり、トイレでさえ一人きりにはなれない。

ほんの一瞬いなくなっただけで、トイレまで探しに来られる。

そんな状況で、恋愛をする余裕はない。

 

でもモヤモヤしていると言うのは、その気持ちが100%ではないんだろう。

心のどこかで、恋愛したいと言う気持ちがあるのかもしれない。

誰か好きになりたいけど、好きになってはいけない。

と言う気持ちでモヤモヤしているのかもしれない。

自分の気持ちなのだけど、自分でも良くわからないモヤモヤ。

 

再婚する気はない、と言うより出来ないと思っている。

子供の環境を変えたくないし、母親も一緒にいるので、それでも良いと言う人はいないだろう。

そこまでしても良いと思えるくらい、好きになってもらえれば良いのだろうが、そこまで自分に魅力があるとも思えない。

好きになってくれれば誰でも良いと言う訳でもなく、自分も好きになりたいと言う気持ちがなければ無理。

書いているだけでも、どう考えても無理でしょうと思います。

劇的で運命的でドラマや映画になるような事でもあれば可能ですが、妄想でも十分。

 

誰もいないのは寂しいからと言って、既婚者を捕まえて不倫する気もない。

お互いに都合が良い関係と言う点においては、良いのかもしれないけど、不倫はダメだと言う理性が働いているので無理。

結婚は無いし、疑似恋愛的な感じで言えば良いと思えるのだけど、子供に「人にされて嫌な事はしてはいけない」と言っているので、自分も人にされて嫌な事はしてはいけないと思う。

 

自分から恋愛を開拓していく気はないのだけど、どっかで運命感じる出会いは無いかと思っているのかもしれません。

 

 

元夫と離婚をしようと決めたはなし

もう離婚が成立したので、元夫からは嫌がらせらしい嫌がらせをされなくなりました。

離婚したことに後悔はありませんが、子供二人を連れて出かけたりすると、一人で面倒をみる事が不便だと思う事は少しあります。

 ・・・離婚していなかったとしても、育児不参加だったので結果は同じなのですが。

 それも子供たちの年が解決してくれると思います。

 

今日は離婚しようと決めるに至った流れを書こうと思います。

別居みたいな状況になったのは、引越しがあったからです。

家を買ったはなし

もともと家を買う事になった事も、私の祖父母からもらった家で元夫が商売を始めたのが原因です。

車で15分くらいの所ですが、誰も知らない、何も分からない状態の場所で家を買いました。

ご近所で頼れる人は誰もいません。

元夫が自営業だったので借金は少ない方が良いかと思い、私一人でローンを組み、私一人の登記となりました。

(今になっては、これがなければ非常に面倒くさい事になっていました。)

 

父と離婚した私の母と同居する事は、元夫も了解済でした。

元夫も一緒に引っ越すものだと思っていましたが、買った家に不備が沢山あり、怒ってしまいました。

最終的には自分一人で気楽な生活が出来るのか、新しい家には引っ越して来ませんでした。

もともと家事、育児はほとんど何もしなかったので、いてもいなくても一緒。

と言ってしまえば、それで終わりなのですが・・・。

結婚したばかりの時は、いろいろとしてもらうよう努力しましたが、お願いすると元夫が不機嫌になり、それが面倒くさくなって好きにさせる事になってしまいました。

そのままずるずると面倒くさいので好きにさせてしまった結果、仕事をして収入を得ると言う人として基本的な事さえも甘えるようになりました。

「いくら稼いだら扶養から外れるの?」と聞かれた時、元夫は私の扶養から外れるために金額を聞いているのではなく、私に寄生する為に金額を聞いていると分かりました。

家事と育児は我慢できても、収入は我慢できなかった!!

元夫は男であることと、長男である事を偉いと思っているような人でした。

今を思うと、ちょいちょい馬鹿にされていたと思う節はありますが、まぁ稼いでいましたし好きに言わせてました。

でも、その稼ぎさえなくなってしまえば、ただのヒモですよね・・・。

まだ努力さえしてくれれば、結果が目に見えなくても辛抱したと思います。

何もせず、昼の日中からイビキをかいて寝られたのでは、我慢も限界でした。

塾は夕方から夜、朝や昼間でも何かしようと思えば出来たはず。

・・・それでも2年は辛抱強く、機嫌を伺いながら収入を上げる努力をお願いしました。

収入が少ないなら少ないなりに、気を遣って家事や育児を手伝ってくれればよいのですが、それも一切なかったのです。

 

 

何のためにあなたはいるの?

元夫は塾経営をしていたので、子供が小学1年生の時に宿題を見るのをお願いしてみました。

フルタイム勤務の私は、時間がなかなか取れないのでお願いしました。

絵の下絵は元夫が書いてきました。

絵を描いた時点で、元夫の中では色の構想も決まっていたと思います。

絵の具でぬる作業を小1の娘に2時間延々させたらしく、厭きた娘が元夫の思う色と違う色でザックリ色を塗ってしまったようです。

離婚した私の母が同居していたのですが、泣きながら娘がやって来たかと思うと、そこまで元夫が追いかけて来て

「何でその色で塗ったんや!」

と責め立てたそうです。さらに

「そんな子はお父さんの子じゃない」

とも言ったそうで・・・。

小1の子が2時間も絵を描いていられるか?と言うのは、教育を教える立場の人間なら分かりそうなものなのですがどうでしょう?

ちょっと違う色を塗ったからって、「お父さんの子じゃない」までの事なんでしょうか?

元夫がなぜ怒ったか?ですが、単に「子供が自分の思い通りにしなかったから」です。

骨折のはなし

夫婦仲があまり良くない状況になっていた頃の娘が小3の時。

娘2人を連れて長女は自転車、次女は私が三輪車を押して散歩をしてました。

散歩に出る前に、元夫と喧嘩をしていたのもあって、家を出たのですが・・・。

そこで坂を下りている途中、長女が自転車からこけて腕を負傷しました。

結果的には折れていたのですが、痛いと言う長女を連れて帰っている途中で、私はまた元夫から何を言われるか怯えていました。

子供の痛みそっちのけで、元夫からいろいろ責められると思うとそれどころではなかったのです。

案の定、元夫は娘に詰め寄りました。

「何でや!」「何をしててなったんや!!」

大丈夫か?の言葉の前に言いました。大丈夫か?と一言も言いませんでした。

萎縮して何も言えない娘を見て、このままじゃダメだなぁと気が付きました。

自分が子供を守らないといけないのに、元夫に責められることが怖くて子供を守れないなんて・・・。

子供たちも私と同じように、面倒くさいから言う事を聞いて黙っておこう・・・って事になるんだなと。

 小旅行のはなし

遊びに出れば、愚図る次女(当時3歳)に向かって、「何でグズグズ言うんや!」と叫び、元夫が運転して家に帰る最中、道が分からなくなってキレだす・・・。

私は車の中でひっそりと泣きました。

私の人生、このままで良いのか?と。

本人は怒ったり、不満を外に出した自覚はありません。

娘が凍り付いていた事にも気が付きません。

 話をしようとしても、私から見ている世界と元夫から見えている世界は違っていたのです。

 

家事も育児もしない、収入もない、努力もしない。

ましてや、精神的に家族を追い込むような夫が父親が必要なのか?

私や子供たちが寝込んでいても、自分一人で遊びに出て行くような夫や父親は必要なのか?

うつ病になった私を労わる訳でもなく、負担を軽くする努力も見られない。

 自分がちょっと熱を出した時は、大げさに言って構って欲しそうにするくせに!

 

本当に大きな子供がいるようでした。

夫と言うより、一人の人として尊敬できなくなった。

 子供たちから父親を奪ってしまうけれど、元夫を見て育ってほしくなかった。

思い通りにならなければ、怒って脅して相手を思い通りにさせれば良い。

怒ってごねたら、相手は自分の思い通りにしてくれる。

そんな風に楽をして人生、生きていけると思って欲しくない!!

 

離婚が成立した今は、嫌がらせも簡単には出来ないようで落ち着いた生活をおくっています。

ちなみに、携帯電話は元夫を着信拒否しています。

その話はまた後日。

猫と子供のはなし(譲渡会)

我が家には猫が1匹、犬が1匹、ハムスターが1匹います。

 

猫を飼い始めた話

猫を飼い始めた理由は、長女にありました。

離婚裁判をするまでになってしまった為、そのせいなのかどうか分かりませんが、「どうせ私なんか」と言う言葉が多くなっていました。

学校では問題は無かったのですが、ちょっとふさぎ込む感じの時が増えて来て・・・。

どうしようと悩んでいたのですが、犬か猫を飼ってみたらどうだろう?と言う話になりました。

アニマルセラピー的な事も考えましたが、もともと私が動物が好きで飼いたいな・・・と。

長女に言うと、さっくり「嫌」と断られてしまいました。

あまり動物を触った事が無かったので、試しに里親を募集している雑貨屋さんに行ってみました。

最初はおどおどしていましたが、時間がたつうちに慣れてきました。

犬はやっぱり怖いと言う事で、飼うのは猫になりました。

 

どんな猫を飼う?

いろいろな猫がいますよね・・・。

我が家は血統書にはこだわりはなかったので、即、犬猫の譲渡会で探す事になりました。

とりあえず、一番近い日にちの開催しているのに行ってみました。

子供たちは初めてだったこともあり、あまりピンとこなかったらしく結局は何もせずに帰ってくることに。

まぁ、そんなにすぐに決められるものではないですよね。

命を預かる事になるのですから、そんなに簡単な事でもありません。

また次を考えている所に、雑貨屋さんの所の猫ちゃんが参加する譲渡会があると知りました。

 

運命の猫

譲渡会へ行くのは2回目。

今回も見るだけで終わるかなぁと思っていました。

私ではなく、子供たちが良いと思える猫がいればいいなぁと。

譲渡会には犬もいたし、猫は子猫から成猫までいました。

その中で真っ黒い猫が3匹いて、その中でメスにしようと話が決まっていきました。

里親さんも良い人そう。

トライアルする話をしている時に、あるキジトラとサビが混ざった猫が、ケージから手を出して私の腕をトントンと叩きました。

最初は気のせいかと思っていました。

黒猫を見ながら話をしていると、またトントンとタッチされている気がする・・・。

その様子を子供たちも見ていて、「お母さんをトントンしてる~面白いね~」と言う話になりました。

またまた偶然に、その私の腕をトントンしてきた猫も同じ里親さんでした。

その子もメスで、おとなしい良い子で、トイレトレーニングも終わっていると言う事で、何だかあれよあれよと言う間に黒猫ちゃんではなくトントンしてきた猫にトライアルが決まりました。

 

1週間のトライアル開始

譲渡会では当日、猫を預かって返る事は出来ません。

里親さんが家まで連れてきます。

どんな家で、どんな環境なのかを見る為です。

網戸を開けて脱走する可能性もあるので、そんな事も教えてくれます。

トライアルと言え、1週間は猫を飼う訳で、キャットタワー、トイレ、猫砂、キャットフード、水の容器、トイレ用の網スコップなどを用意しました。

キャットフードは購入する際に、いつも食べている品名を聞きました。

その里親さんは、何でも食べられるように固定はしていなかったようですが、お勧めのキャットフードを教えてくれました。

来た最初は猫にとっても知らない場所なので、オドオドします。

焦らず気長に構えるのが良いです。

もの凄く大人しい猫ですが、少しずつ慣れも出て来て悪さもしたりします。

子猫ではなく成猫でもなく、中猫くらいの大きさでした。

カーテンや壁をバリバリする事もなく、トイレもすぐに出来ていたし、本当に賢い猫です。

子猫から飼う場合、トイレトレーニングなど大変ですが、譲渡会に出ている猫はトイレトレーニングが終わっている猫たちも多いと思うので、良いかもしれません。

1週間を待たずに猫も子供たちも慣れてきたので、トライアルから正式に飼う事にしました。

 

トライアル終了後

トライアルから正式に譲渡させて頂きたい旨を伝え、もう一度来てもらいました。

譲渡する際に書類にサインをします。

後は予防接種の費用を払いました。

次の猫ちゃんたちに使われます。

仮の名前を付けられていたのですが、長女がそのままの名前にしたいと言ったので、名前を変えず今も飼っています。

とても運命的な出会いで猫に出会ったのですが、本当に不思議な猫です。

一番に寄り添わなければならない人が分かるのか、姪がやってきたりすると姪に寄り添います。

私が精神的に参って来ると、私の所へやって来ます。

普段は長女が一番で、長女のそばを離れません。

トイレにまで追いかけて行って、ちょっとしたストーカーです。

とても不思議な事なのですが、本当に心理状態が分かっているようです。

正式に譲渡してもらった後は、時々、写真を送ったり、予防接種などを打ったりすると連絡をしたりしてます。

 

 長女の様子も目に見えて落ち着きました。

いつも私たちに寄り添ってくれる猫ですが、猫にとっても癒しの家であれるようにしてあげたいと思っています。

 

 

就労証明書のはなし

今日は、就労証明の話をしていきたいと思います。

 

そろそろ保育所、幼稚園、の就労証明の提出時期になりました。

小学校の学童保育もですね。

 

子供を預かり保育や学童保育へ預けようとすると、就労証明の提出は絶対です。

私の場合は会社へ提出していれば、記入してもらう事は簡単です。

でも離婚する前は元夫が自営業だった為に、民生委員に証明を書いてもらわないといかず、毎年、民生委員を探す所から始まっていました。

今年は書類を見ていると、民生委員の証明欄が消えていたので自己申告でいけるようになったのかも知れません。

住む場所の方針によっても違うと思うので、そこは役所の窓口へ聞いてみて下さい。

 

で、離婚調停をおこしてからの話になるのですが、いちいち就労証明を取って来てほしいとお願いするの嫌ですよね・・・。

離婚したい相手に「お願い」する事が嫌だった私ですが、どうにか元夫に就労証明を取って来るようにしなくても良い方法を考えました。

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・・・。

市役所に相談です。

子育て支援課へ直行。

とりあえず、困った事があれば役所へ行って相談する事をお勧めします。

と言うのも、ちょくちょく相談する事によって、お願いが通りやすくなります。

私は離婚調停を起こす前から、福祉課の窓口にはお邪魔してました。

まずは、「離婚したらいくら児童扶養手当がもらえますか?」と言う所から。

離婚後のシュミレーションは重要で、お金は大事ですものね。

住民窓口にも行って、

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もさせてもらいましたね・・・。

迷惑な住民ですが、役場へ行って困っていると言う事を伝えておくことは大事だと思いっています。

元夫が面倒で、接触したくなく、嫌がらせで就労証明ももらえない可能性が高いと思っていたので、そのように伝えてみました。

「何をどうしたら、元夫の就労証明をもらわなくて済みますか?」

その時は、離婚調停を始めていたので離婚へ向けて話を進めていると言う証明は出来ました。

調停が2回で終了したので、裁判へ以降していました。

訴状を提出する事も可能でした。

 

私が窓口で出した案は、「訴状をコピーしてもらっても良いので、元夫の就労証明が提出できない理由にしてもらえませんか?」です。

窓口で何度か相談して来た事もあって、元夫なら嫌がらせで就労証明を私に渡してこないだろう事も想定内にしてもらえたのか、あっさりOKがもらえました。

別居だったりすると、住民票の移動までされていない場合、やっぱり相手の就労証明は必要になるかもしれません。

役所もそれなりの理由や、それを証明するものがなければ難しいと思いますので。

窓口でお願いしてみてダメそうなら、元夫から就労証明をもらう努力はしないといけなくなりますが、やって無理ならまた窓口に行って話をしてみたら良いと思います。

 

窓口で喧嘩腰に話をしている人も見かけるのですが、相手も人間なので怒らせたりしない方が話はスムーズにいくと思います。

 

今回は就労証明のはなしでした。

小さな事ですが、私にとって元夫に「お願い」しなければならない事は苦痛でした。

なぜ、「お願い」したくなかったのかはまた後日。