泥沼離婚裁判ブログ

最高裁にまで至った離婚裁判のブログです

元夫と離婚をしようと決めたはなし

もう離婚が成立したので、元夫からは嫌がらせらしい嫌がらせをされなくなりました。

離婚したことに後悔はありませんが、子供二人を連れて出かけたりすると、一人で面倒をみる事が不便だと思う事は少しあります。

 ・・・離婚していなかったとしても、育児不参加だったので結果は同じなのですが。

 それも子供たちの年が解決してくれると思います。

 

今日は離婚しようと決めるに至った流れを書こうと思います。

別居みたいな状況になったのは、引越しがあったからです。

家を買ったはなし

もともと家を買う事になった事も、私の祖父母からもらった家で元夫が商売を始めたのが原因です。

車で15分くらいの所ですが、誰も知らない、何も分からない状態の場所で家を買いました。

ご近所で頼れる人は誰もいません。

元夫が自営業だったので借金は少ない方が良いかと思い、私一人でローンを組み、私一人の登記となりました。

(今になっては、これがなければ非常に面倒くさい事になっていました。)

 

父と離婚した私の母と同居する事は、元夫も了解済でした。

元夫も一緒に引っ越すものだと思っていましたが、買った家に不備が沢山あり、怒ってしまいました。

最終的には自分一人で気楽な生活が出来るのか、新しい家には引っ越して来ませんでした。

もともと家事、育児はほとんど何もしなかったので、いてもいなくても一緒。

と言ってしまえば、それで終わりなのですが・・・。

結婚したばかりの時は、いろいろとしてもらうよう努力しましたが、お願いすると元夫が不機嫌になり、それが面倒くさくなって好きにさせる事になってしまいました。

そのままずるずると面倒くさいので好きにさせてしまった結果、仕事をして収入を得ると言う人として基本的な事さえも甘えるようになりました。

「いくら稼いだら扶養から外れるの?」と聞かれた時、元夫は私の扶養から外れるために金額を聞いているのではなく、私に寄生する為に金額を聞いていると分かりました。

家事と育児は我慢できても、収入は我慢できなかった!!

元夫は男であることと、長男である事を偉いと思っているような人でした。

今を思うと、ちょいちょい馬鹿にされていたと思う節はありますが、まぁ稼いでいましたし好きに言わせてました。

でも、その稼ぎさえなくなってしまえば、ただのヒモですよね・・・。

まだ努力さえしてくれれば、結果が目に見えなくても辛抱したと思います。

何もせず、昼の日中からイビキをかいて寝られたのでは、我慢も限界でした。

塾は夕方から夜、朝や昼間でも何かしようと思えば出来たはず。

・・・それでも2年は辛抱強く、機嫌を伺いながら収入を上げる努力をお願いしました。

収入が少ないなら少ないなりに、気を遣って家事や育児を手伝ってくれればよいのですが、それも一切なかったのです。

 

 

何のためにあなたはいるの?

元夫は塾経営をしていたので、子供が小学1年生の時に宿題を見るのをお願いしてみました。

フルタイム勤務の私は、時間がなかなか取れないのでお願いしました。

絵の下絵は元夫が書いてきました。

絵を描いた時点で、元夫の中では色の構想も決まっていたと思います。

絵の具でぬる作業を小1の娘に2時間延々させたらしく、厭きた娘が元夫の思う色と違う色でザックリ色を塗ってしまったようです。

離婚した私の母が同居していたのですが、泣きながら娘がやって来たかと思うと、そこまで元夫が追いかけて来て

「何でその色で塗ったんや!」

と責め立てたそうです。さらに

「そんな子はお父さんの子じゃない」

とも言ったそうで・・・。

小1の子が2時間も絵を描いていられるか?と言うのは、教育を教える立場の人間なら分かりそうなものなのですがどうでしょう?

ちょっと違う色を塗ったからって、「お父さんの子じゃない」までの事なんでしょうか?

元夫がなぜ怒ったか?ですが、単に「子供が自分の思い通りにしなかったから」です。

骨折のはなし

夫婦仲があまり良くない状況になっていた頃の娘が小3の時。

娘2人を連れて長女は自転車、次女は私が三輪車を押して散歩をしてました。

散歩に出る前に、元夫と喧嘩をしていたのもあって、家を出たのですが・・・。

そこで坂を下りている途中、長女が自転車からこけて腕を負傷しました。

結果的には折れていたのですが、痛いと言う長女を連れて帰っている途中で、私はまた元夫から何を言われるか怯えていました。

子供の痛みそっちのけで、元夫からいろいろ責められると思うとそれどころではなかったのです。

案の定、元夫は娘に詰め寄りました。

「何でや!」「何をしててなったんや!!」

大丈夫か?の言葉の前に言いました。大丈夫か?と一言も言いませんでした。

萎縮して何も言えない娘を見て、このままじゃダメだなぁと気が付きました。

自分が子供を守らないといけないのに、元夫に責められることが怖くて子供を守れないなんて・・・。

子供たちも私と同じように、面倒くさいから言う事を聞いて黙っておこう・・・って事になるんだなと。

 小旅行のはなし

遊びに出れば、愚図る次女(当時3歳)に向かって、「何でグズグズ言うんや!」と叫び、元夫が運転して家に帰る最中、道が分からなくなってキレだす・・・。

私は車の中でひっそりと泣きました。

私の人生、このままで良いのか?と。

本人は怒ったり、不満を外に出した自覚はありません。

娘が凍り付いていた事にも気が付きません。

 話をしようとしても、私から見ている世界と元夫から見えている世界は違っていたのです。

 

家事も育児もしない、収入もない、努力もしない。

ましてや、精神的に家族を追い込むような夫が父親が必要なのか?

私や子供たちが寝込んでいても、自分一人で遊びに出て行くような夫や父親は必要なのか?

うつ病になった私を労わる訳でもなく、負担を軽くする努力も見られない。

 自分がちょっと熱を出した時は、大げさに言って構って欲しそうにするくせに!

 

本当に大きな子供がいるようでした。

夫と言うより、一人の人として尊敬できなくなった。

 子供たちから父親を奪ってしまうけれど、元夫を見て育ってほしくなかった。

思い通りにならなければ、怒って脅して相手を思い通りにさせれば良い。

怒ってごねたら、相手は自分の思い通りにしてくれる。

そんな風に楽をして人生、生きていけると思って欲しくない!!

 

離婚が成立した今は、嫌がらせも簡単には出来ないようで落ち着いた生活をおくっています。

ちなみに、携帯電話は元夫を着信拒否しています。

その話はまた後日。